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Twitterサービス停止に備える。

今のうちにアウトプットの手段を確立しておけ。

久しぶりに書いた。

 

こんなにも早い段階でこのタイトルを使ってしまってもいいものなのか、葛藤こそあったが諦めて使うことにした。

使おうと思った時が使い時だ、そういう精神で生きているから仕方がない。

 

同様に食べようと思った時が食べ時なので、親から届いた荷物に入っていたイカリ豆は開封即始末といった具合に俺の口へと吸い込まれていった。

豆さんサイドは仲間の死にあたって、喪服を虫干しする時間はおろか別れを惜しむ間も与えられぬままにそれを迎えることと相成った。

 

多分それは食われる段階ではなくて加工の段階で済ませてあるだろうなと、書いてすぐに思った。

しかもあいつらは中国産の豆だから、きっと黒いそれは着ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親から届いた荷物に入っていた食い物を迷うことなく口に運んでいるということからは、賢い人あるいは同族であれば、書いている人の家に食材がないか、あってもろくに料理をしていないかという状態であることが想像できるはずだ。

箱を開けてすぐにイカリ豆にがっつく人間は、2食くらいすっぽかして寝た後でもない限りそうそういない。

 

そんな具合に著しく低下しているQOLなのだが、それでも少し前はむしろ高かった。

揺れ戻し、揺り戻し、どっちが正しいのかあるいは、まあはっきりはしないのだけれど要はそういうことだと思う、俺はとうとうこれを大学在学中に直すことができなかったと後悔している。

 

一旦思い付きで過剰にエネルギーを注ぎ無駄に高めたQOLは、その維持が難しくなる。

わかっているのだけれどあの時の俺は文明人を極め過ぎていた。

過ぎたるは何とやらで、これではさながらケモノのよう、頑張ることを止められない、頑張ることを本能に強いられている、そういう時はそういう動きになる。

トマトソースのパスタに、豆苗とタマネギのツナサラダ、さらにスープまでつけて、そのあとコーヒーをドリップしてそれを飲みながら本を読み、読み終えると何点かの衣類をクリーニングに持って行きさえした。

反動の真っただ中にいる今の俺からしたら、この時の俺はどうかしているようにしか見えない。

クスリは間違いなくやってたんだろうなと思う。

 

イカリ豆は尽きたが、それでも今まだ動けていない。

やっぱクスリだきっと、こんだけの無気力はそのせいに違いない。

食べたイカリ豆の材質がそら豆じゃなくて仙豆だったら多少話は違ってきていたか。

ああ、いや、でも中国産だもんな、過度な期待はいけない。

自律を試みようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、御社からの配属先に関する通知が今月上旬に届くらしいのだが、未だ届いていない。

まだ初旬も終わるか終わらないかというくらいだからそれも当然か。

しかしまあさすがにここまで引っ越し等の準備ができないとさすがに気にはなる、早めにお願いしたい、あと単純にどきどきするし待ちきれない。

 

気もそぞろ、今まで使ったことのないフレーズだが、おそらく童貞を捨てるならここだ。

配属通知がもうすぐ届くため、気もそぞろだ。

ああ、これで晴れて俺もそぞろおろしが済んだ、使い方は一度使ってみるとよく覚えるし、そぞろ自体が最近使ったスタンプみたいに俺の中の一番手前の方に出てくるようにもなるのでなおのこと使いやすくなるだろう。

そぞろさんに対しても22年余りの無沙汰を詫びることはおろか、これで俺はもはやそぞらーの名も欲しいままにさえできる。

 

なんというか、敗北を知りたい、そういう心境だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々に書いたら、中身のなさをぶっちぎって更新した気がする。

 

この濃度の映画があったとしたら、さながら群らがるゴブリン達にフライパンで殴打されるくらいの勢いでぶっ叩かれててもおかしくない。

 

ブログってのはこうでなくっちゃいけねえなあ、と思う。