Twitterサービス停止に備える。

今のうちにアウトプットの手段を確立しておけ。

無駄にオールをしたので書いた。

 

地元に戻ってきてからそれなりに日を重ねて、もう明日には飛行機でここを発つことになる。

高い飛行機代を支払って行う1週間少々の滞在であったが、思えば、結局帰省中これというほどのことをまるで何もしていなかった。

もしこの有様をワンガリマータイさんが見ていたとしたら、俺の飛行機代についてMOTTAINAIを叫んだかもしれない。

目には目をということで、俺のターンにノーベル賞受賞者の中から素晴らしい理論を拝借して理論のレンタル武装でもできれば、ワンガリマータイさんに一矢報いることができたかもしれない。

しかしこれに関しては自分の学のなさを呪うばかりである。

 

 

 

ブログを書いていても、他のブログを読んでいても、それは感じる。

MOTTAINAIの方ではなくて、学のなさの方。

 

 

 

文章が上手な人は本当に多いし、そういう人達のしたためる文章は、その裏付けとなる教養を確かにその中から感じ取れる場合がほとんどだ。

何を持って上手とするかという議論はあるだろうが、言うまでもなく正解はないので俺がそう感じるものを書くとすると、ほどよい読み応えがあるのにさながら茶漬けのようにさらさらっといけてしまうものや、思わず声に出しそうだしそうしたら多分ノッてきちゃうだろうなというものが挙げられる。

知識、語彙、言い回し、間、ものの見方や捉え方あたりがその構成要素の一部だと思っているのだが、これらの要素はおそらく、さっき挙げたその人の学とか教養にあたるものだ。

 

 

 

知識とか語彙とかはなんていうかもうとりあえず身に付けるしかないし、反対に身に付ければある程度直接的に内容に反映される部分だ。

吸収されるそれらはきっと、読書をはじめとした様々なメディアだとか日常生活を供給源としたものだろう。

まさか吸収されるという前提が誤りで彼らが言葉の創造主であるなんてことは、多分おそらく十中八九いや9割9分はあるまい、この場ではそういうことにしておきたい。

ただ、生きるために必要な最低限の生活動作をしているだけだと、学のある人とない人で触れるもの自体にそこまでの差は付かないんじゃないかと思う。

 

ある人とない人、差が出るのは、単純にその中で入った情報をインプットする力、それを上手に使うべく正確にアウトプットする力。

次点で、そのための判断材料となる眼だとか考えだとかだろう。

まあざっくりまとめるとするならば、少なくともこんな感じになるのではと俺は思っている。

俺には多分どれも備わっていないか、備わっていても十分でない。

それか今挙げた見立てが間違っていて備わっていても役になっていない、だろうか。

3つ目だと話の腰が選手生命を絶たれるレベルに折れてしまうので、1つ目か2つ目だと仮定する。

 

書き手は創造主ではないと先程仮定した以上、引き出しがないことには読み手に、ああ、いい、と思わせる文章を書くのは難しいはずである。

だからこそ、開け閉めしやすい引き出しを作るための力は確実に必要だろう。

いつからだろう、物覚えが悪くなったのは。

歌詞は覚えられないタイプだったが、社会科等の暗記は得意だったのだが。

引き出す方はそれと比べれば比較的死んでいないと言えるはず。

 

で、あとはさっきも挙げたように作る引き出しの見立てをする力なのだけれど、これは言い回しや間と併せてセンスという言葉が当てはまる部分も多分にあると思っている。

ただ、先天的にそれを持ち合わせている人はおそらく限りなく少ないはずなので、知識よろしくインプットしたそれらの蓄積によって培われるのが基本であろう。

そう考えると、インプットする力が文章を書く力に与える影響の大きさがわかる、というか、なんでこんなに文章うまい人いるんだろうなあと思ってとりあえず書き始めて、なんとなく考えながらだらだらと書いてはみたが、なんだこれ正解出たなそりゃそうだ限りなくいろんなものインプットできる人間が強い。

いつだったかの記事に書いた気もするのだが、結局興味を持てる人間が強い。

自己解決、正解出ました。

おもしろい文章を上手に書く人は、きっとその材料や、材料をコンテンツへと変換する頭を、興味を持ってあちこちから拾った情報の中から生成しているのだ。

デデドンッ。

 

 

 

 

なんというか、あたりまえ体操のBGMを流されても何も文句の言えない限りなく浅薄な内容になってしまった、我ながら不完全燃焼にも程がある。

死んでいる頭を起こそうと書き始めた記事であるが、それにしても想定を大きく下回る出来になっている感じは否めない。

しかし、文字数だけは一丁前にそこそこ稼いでしまったので記事にはする。

文字に起こすなんて行為はあくまでも思考の道具、材料であるのだから、俺個人としては内容も内容なので消してもいいかなとも思うのだけれど、如何せん、頭の中でワンガリマータイさんが叫ぶものだから。

 

書きながら今一度考えてみたことに意義があったのだ。

そういうことにしておきたい。