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今のうちにアウトプットの手段を確立しておけ。

今年も終わるので最後にひとつと書いた。

とりとめのないこと

 

実家に帰ってきている。

北海道の端っこという表現がぴたりと当てはまるクソ田舎。

お隣さんは1キロ先にある。

夕方には仕事柄家に人がいなくなるため、帰省中の俺は取り残され、家はカラオケボックスと化す。

そんなところに帰ってきている。

悪くはない。

 

 

 

 

 

帰省の直前は、冷蔵庫に残った食材を殲滅することに躍起になったものだ。

 

生鮮食品はこういう時に困る。

直前くらいは好きなものを食べて出発したいのだが、今回は残念ながら出発の2日前までの殲滅に失敗してしまったため、出発直前の朝食として、親子丼の具だけを―米を炊くのは面倒だったうえに処理ができない―ので食べるということになってしまった。

どう考えてもそうめんの気分だったのだけれど、生鮮食品であるというだけで食べるタイミングを強制させられた結果としての哀しい朝食であった。

湧いていたのがそうめん欲ではなくそば欲であったのなら、親子そばにできたかもしれなかったのに。

まあそれでも、おいしかったはおいしかったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

こういう哀しい朝食を避けるために、帰省の2日前には大抵冷蔵庫の中の生鮮食品の殲滅を終えて、最悪その時消費しなくてもよい冷凍のラーメンなどをストックしておく。

たくさんストックしておいて、なるべく出発の時の気分に合ったものを食してウキウキしながら家を出るのだ。

しかも帰ってきてからもストックがあるので助かる、画期的としか言いようがない。

 

最近の冷凍食品はおいしくて、食べる度に驚かされるとんでもない完成度だ。

そのうえ、当たり前なのだけど、レンジでチンするだけなので楽だ。

 

 

 

 

 

と、これもまた当たり前のように、俺は「チンする」という表現を使う。

 

 

 

 

 

俺の生活空間は、最近であればアパートと、研究室と、実家だ。

いずれの場所にもレンジがある。

しかし、そのどれも「チン」などという音は発しない。

 

しかし、彼らは帰省前の俺が生鮮食品の殲滅を行うことを強いられていること以上の圧力で、自分達の動作をその音に問わず「チンする」という表現で統一されてしまっている。

彼らが一体何をしようが、それは全て「チン」しているというだけでしかない。

本当は、あたためも解凍もしているはずなのに。

 

 

 

 

チンすることを強いられた日本のレンジ達へと思いを馳せる。

なんとも言えないもの悲しさを感じ、彼らへの同情を誘われる。

 

自分の数代前の世代の放つ音がチンだったおかげで、彼らなど比にならないの様々な機能を身に付けてデザインまで洗練され、そして何より音までもスタイリッシュになった現世代の頑張りが、全て数代前の動作と同じチンという呼び方をされる。

これを人間社会に置き換えたら、もしかしたら場合によっては人権屋が何を言うかわからないというような状況なのだと思う。

そうでなくとも、自分のしている工夫や努力を「がんばってる」なんて言葉一つでまとめられたら心を痛める人種はゴマンといるのではないか。

 

せめて、温める、あっためる、と言ってあげればいいのだが。

「チン」とはなんだ、「チン」とは。

「チン」だぞ、「チン」、「チン」、「チン」とはなんだ「チン」とは。

「チン」、こんな呼び方があるか、「チン」、これはひどい

「チン」、この味も何もないどこか乱暴なそれ―――。

 

自分達がほんの数文字分を言葉として発することを面倒くさがったばかりに、「チン」などという安直な言い方をしてしまった身勝手な人間。

そう教えられたからというだけで、疑うこともなく、レンジのことも見ず、考えず。思考を止めて「チン」を使い続ける身勝手な人間。

自分達の生活の質を遥かに高め、そのボトムアップにも大きく貢献してくれている現世代レンジのことをちっとも顧みず「チン」を使い続ける身勝手な人間。

何と業の深い生き物であろうか。

 

今夜人間達は年を越す。

そして来たる2017年、信念の新たなる決意や目標をそれぞれが持って、一回り大きな人間へと成長できることを願い、それを目指していくことになる節目の日。

 

他者への理解などということは端からできるわけがない。

だがしかし、他者―それがレンジのようなモノであったとしても―に対して、憶測に過ぎないものであれ何かしらの想像力を働かせられるようでありたいとは思う。

 

 

 

 

そんなことを考えたのち、俺はレンジを使うことの何か画期的な言い回しがないかを考える。

普段何気なく使っているため、アパートやゼミ室のレンジの音の記憶はぼんやりとしている。

 

そこで牛乳を温めるついでに実家のレンジの音を確かめる。

 

 

 

 

「ピ――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ピー」する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこからともなく香ってくる放送禁止用語のかほり。

 

 

 

レンジもまた深い業を抱えた存在なのではないかと思う。