Twitterサービス停止に備える。

今のうちにアウトプットの手段を確立しておけ。

最近常々思っているから書いた。

 

中間提出をしてアドバイスを求め、その返事を待っている状態の卒業論文

アドバイスをいただけるならそれをいただいてから再スタートできればそれが一番効率的な気がするという大義名分を掲げ、そのモチベーションを全て読書へと傾けている最中である。

 

おかげさまで去年に引き続いて今年もおソロのクリスマスをこれでもかというほどに満喫できた。

こちらは自分へのクリスマスプレゼントという大義名分の下、欲しかった本をまとめ買いしただけでは飽き足らずちょっとばかし洒落たデザインのブックカバーまで買って―2色あったもんだから迷うくらいならと両方買う典型的な独身貴族の消費―しまったくらいである。

強がりでもなんでもなく元々そこまで寂しさは感じていなかっただけに、けっこうな充実感を得ることができた。

 

いやはや、人生で初めて、今年―就活中に―火が点いた読書熱であるけれど、年末をその再燃で締め括ることになるとは、やっぱり今年は書いている人にとってそういう年だったようだ。

 

 

ちなみに最近読んだ中でなかなかよかったと思っているのは、窪美澄さんの『よるのふくらみ』―Twitterでも挙げたか―と、今回のクリスマスプレゼントで買った倉狩聡さんの『かにみそ』。

前者はどうやら主人公が俺にはまったよう。

後者は初見のインパクトがなかなかなうえすいすい読めて、あとは、浅学の身の、さらには管見の限りではあるけれど、他ではあまり見たことがない言葉を使ってたのが個人的に印象的だった。

どちらもおすすめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、

 

 

今出てきた卒論も、あと読書もそうなのだけれど、そのモチベーションの出所に関して、そこはかとなく不安を感じているのが高校生の頃からの俺だというのが2回目の更新の内容。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポケモンGOにアホほどはまっていた。

 

Twitterでも関連ツイートを散々垂れ流していたのを、Twitterをフォローしてくださっている人はもしかしたら―ミュートでもされていない限りは―覚えてくれているはず。

実はあれ、今となってはもう軽く3か月はログインしていないし、費やした時間が時間だけにアンインストールできずにいるだけという有様になっている。

 

元々極めて趣味が少ない人種なものだから、熱中というか、大学に入ってからこれくらいのモチベーションを費やして取り組んだことと言えば、サークルと卒論と実習と、そして一時のポケモンGOくらいのものだった。

 

しかし残念ながらいずれも今となっては、という感じで。

読書はかろうじて進行形でそれなりにはまっているのでこの場では外しているが、今挙げた連中に関しては、例外なく―ポケモンGO以外はもとより仕方ない部分もあるが―まあ鮮やかに鎮火してしまっている―サークルは完全なそれではないけれど―。

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うなら、ちょっと真面目な話にでもなった時に誰かに話したという記憶だけがぼんやりと残っているのだけれど、自分でもこのへんがなんで鎮火したかの心当たりがついていて、それがさっき言った、最近の漠然とした不安の原因になっている。

 

 

 

 

 

 

 

思えば、受験がまさしくそれだった。

 

受験勉強における俺のモチベーションは、世界史の楽しさと、それで満点を取ること、そしてこれが大問題なのだけれど、普段定期テストで上位に入ってる連中を模試やセンターで負かすことだった。

 

ぶっちゃけ、「貴様ら~~~~~~~~~一夜漬けあるいは最大2週間漬け、テストが終われば消去する短期記憶を上手にたくさん詰め込んでというだけで学年上位を語りおって~~~~~~~~~~ほんとは俺がそれなんだよ~~~~~~~~~~」みたいな、不純もここまで極めればもはや純なんじゃないかと錯覚させられるくらいの清々しいクソ動機で勉強をしていた。

 

 

 

 

思えば、ポケモンGOもまさしくそれだった。

 

これにおけるモチベーションは、直前の内容から察しが付くだろうからあえて長々書く必要もないのだが、結局、最初の4日で80kmを歩いた傑出度と、それにアホほど時間を費やした自分でしかなかった。

 

という話なんだ端的に言えば。

THE現代病という感じだろうか。

北野武の『全思考』に書かれていた内容が刺さって刺さってたまらない。

 

同じように、今までにはまったというか、多少なりとも打ち込んだ、あるいは打ち込もうとしたものの記憶を遡ろうと思ったが、多分想像通りの結果であろうことと、なんとなく怖くなったのとでやめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう状態ゆえに心から思うのだが、多趣味な人は本当にすごい。

いいや多趣味でなくとも、何かにガツッとはまれる人―オタク―北野武の前掲書における逃げのそれではない―に対して、最近は尊敬の念ばかりを抱いている。

かっこいいよあなた方は。

 

今のところ俺には真似できる気さえしない―必ずしも真似をするべきものなのかという話はさておいて、少なくとも現に俺はそういう人達をうらやましいと思っているから、今の自分をどうにかすべきなのだろうと捉えている―。

 

 

 

最近じゃ、一体どこから純粋な興味ってもんが湧き上がってくるのか純粋に疑問だ。

俺も小さい頃は図鑑や地球儀を両親や祖父母にねだるくらいは純粋に知識に対して興味が湧いたものであったけど、今となっちゃあその気配は影も形も、といった有様であることよ。

 

今はかろうじて、収集と教養以外の動機が確実に感じられる状態で本を読む習慣が続いているが、いつかきっと本の中身に飽きて、あるいは時間がかかることに嫌気がさしてそのモチベーションが失せたままに上述した2つの動機を理由にした惰性で続けることになりはしないかと、怖くてたまらずにいる。

これ以外に今後現れるであろう将来打ち込もうと考える事柄と併せて、今後はどうなることやらと不安ばかりが募る。

 

 

あーあ、

 

どうにか、出所が正であるモチベーションで動けるという性能を維持したままに今後を生きたいと思うばかりである。

 

 

 

 

 

長文になった。