Twitterサービス停止に備える。

今のうちにアウトプットの手段を確立しておけ。

書くくらいはしないとと思って書いた。

 

どこかで見たコピペで、タイトルは最後につけるのがいい、って学んで実践しているのだけれど、このブログでそれをやる意味があるのかはわからない。

 

今回はどんな話になるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうぶつの森のアプリがリリースされてそれなりに時間が経つ。

友人たちが次々と飽きてしまって鉱山に行くのにも少し手間がかかるようになった程度には。

ちなみに自分はというとまだまだバリバリ続けているし現状辞める理由もない。

 

もともとこういうゲームは好きなほうだ。

勝負ってもんがないし、誰かの足を引っ張ったりすることもないし、それでいてなかなか方向性が被らないような極め方ができるから傑出度というものを感じながら遊ぶことができる。手間と時間さえかければ簡単に結果も出るしな。学校の勉強や仕事とは違うね。

楽で気楽なうえに満足感もある、サイコー。

 

ポケモンGOもそういうタイプのゲームだと思っていたけれど、レイドバトルだとかいうのが出てきてしまったことと、単純に数が増えすぎてしまって収集欲を思うように満たせなくなってしまったのが本当にしんどい。

ゆるくやってたんじゃ自分なりの満足さえ得られないゲームになってしまった。

 

スマブラとかは新キャラを出すのさえ苦痛だったし対戦も全然勝てなかったからあまりはまれなかったけど、こういうのは本当にいい。

 

我ながら嫌な楽しみ方してるなあと思うけれど、こういう人は多分ゼロじゃないと思っている。

オオカバマダラ全然とれないんだけどはやくでてきて。あとローンえぐくてお金足りません。

動物たちは僕が持っていないものをねだらないでください。畜生どもの分際で人間様の神経を逆撫でするんじゃないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば先日初めてのボーナスをもらった。やったぜ。

相場がわからなかったから調べたけど、まあ飛び抜けて多いというわけではなかったけれどまあ平均程度はもらえていたらしい。

 

いやでも平均っつったって今までの人生でこんな大金一発で手に入れたことなんてなかったし、だいたいもって現状仕事に質が伴っていないし自信もくそもないような状態だったからこんなにもらっちゃっていいのかという感覚に苛まれている。

まだ学生の感覚が消えていないんだろうな、それがいいことなのかどうかは知らない。

 

とりあえずなんというか、会社に恩を売られているような感覚だ、不安になる。

ボーナスってそういうものなのかもしれないけれど。

実際ちょろいもんでさ、あんだけうーんうーん悩んでいたってこんだけのお金もらえばこれが仮に一時的なものにせよとりあえずは辞める気なんて失せるもんな。

っていうのを、勉強が捗らない理由にでもしておきたい。

もらったボーナスに手を付けず16時まで寝て過ごす休日は最高だったよ。

 

 

 

 

 

 

 

復活したパソコンで書いた。

 

誰が見ているかは知らないけれど、お久しぶりです、俺だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に書いたのが大学を卒業する前にまで遡ってしまう。

 

社会人になりたて一発目の投稿はどんなものにしようかと考えていたのに、死というものは本当に突然訪れるものだと驚いた。

大学生協ご自慢の4年間ばっちりの保証が途切れたその刹那、先代PCの画面はとてもカラフルな砂嵐に包まれたのであった。

 

 

 

 

 

すぐにでも新しいものを買えればよかったのだろうが、調子に乗って新しいスーツやら気に入った家具やらをドンドコ買ってしまったがために親からの新生活援助も大学の時からの貯金も限界まで擦り減らしてしまっていて、PCどころではなかった。

 

こちらは2代目どころか既に同じ機種で3代目となってappleケアによる格安での同一機種の代替品をもらえるサービスの後がなくなっているiPhone6(曲がっている)、こいつのバックアップがとれないことがPCなし生活の唯一にして最大の懸念事項であったけれど、それにしたって金がなかったのと、スマホがあると本当にその点以外ほとんど何も困らないもんだからなかなか買おうという踏ん切りがつかなかった。

 

やっと買ったらやっぱりあるとどちゃくそ便利だねってことで本当にホクホクしておりますです。

 

せっかく買ってもすることなんざ動画と音楽とブログだけなんだけれどもさ。

大学の時よりも生産性のない使い方をしているのが本当にもったいないので、MOSの勉強でもしようかと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くだらないことにしかPCを使っていないのがもったいないという話、仕事のことにもつながってくる。

 

端的に言うなら、今の仕事は本当にPCを使わない。

そういう仕事だとわかったうえで、且つ納得して選んだのだけれど、どうにもこのへんがストレスの原因となっている。

 

別に今の仕事が嫌いというわけではないし、ここまで健康で頭もそんなに使わず基本的にストレスフリーでできているのはこの仕事だからこそだと思うし、仕事以外の福利うんたらも実際ありがたいほどに充実している。

読み通りだったし、これはこれである面では俺の性にぴったりと合っている。

 

しかしどうしてだろう、全然抑え込めるだろうと思っていたはずなのに、収支でいえば問題なくプラスになっているはずなのに、パソコンカタカタしたい、授業作ったり資料作ったりしたいっていう欲が消えないで、二郎食べたい欲のように俺の頭と体を蝕んでいくのが本当によくわかって正直しんどい。

 

俺、なんでこんな完全に””作業””って感じの仕事してるんだろうなあ。

 

お役所仕事とか、あと他のどんな仕事だって、それこそパーソナリティが重要になる仕事以外なら絶対避けられない””作業””感はあるはずなんだろうけれど。

 

いや、こう書いてはいるけれど正直自分でもわかっている、頭より体が動いている仕事だからなんだろうなって。

こいつがコンプレックスになって、俺に今の仕事への自信とか誇りとかを持たせようとしない。

 

職業に貴賤なんてものはないって理屈ではわかっているつもりなのだけれど、感情がどうにもそれに追い付いていない、というか、他人に関してはそれが適用できるのに、自分の仕事のこととなるとそれができない、自分だけが例外になっている。

 

思っている以上に自分は貪欲だったのかもしれないし、知っていた以上に変なプライドは高かった。

 

 

授業が作りたいね、あーあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々に、しかも深夜に書いてみると案の定文章になっていない。

 

そのうちこの記事は消そうかと思うくらい。

 

少しずつリハビリしていきます。

 

あと、テンキーのあるキーボードに慣れたい。

ユーザ辞書も一からまた作り直していかないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間を置いて書いた。

 

タイトルより。

 

物は言いよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業が近い。

 

久しぶりに大学に行って、ドンピシャのタイミングで貼り出されたとりあえずこの春どうにか卒業できる学生一覧を見た。

俺はどうやら無事に、4月から美しき労働の美徳に塗れることができるらしい。

楽しみで楽しみで仕方がないし、その時間が僅かでもすり減ってゆくのが惜しいものだから、このままずっと学生でありたいと思うし、お願いだから学生であらせてくれと、日常で出会うご利益のありそうなもの全てに祈っている。

 

働きたくねえ。

 

本当にこの一言に尽きる。

 

こんな状態だし、そのうえ学科の卒業旅行も済んでしまった。

まだサークルの追い出しコンパも卒業式も残っているのだけれど、これではこの長いようで短かった4年間を振り返ろうという気にもなってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4年生になってから、丸くなったね、と言われる。

 

 

 

もちろん身体的にではない。

そもそも体重は高校の部活をやっていた時から1キロたりとも変動していないし、顔に関してはこけるかそれが元に戻るかしかしていない。

 

 

 

反抗期をこじらせた小学校の頃からずっと世間で言う棘のある言葉ばかり発していたらしいし、一時は狙ってそれをすることがかっこいいと思っている絵に描いたような斜に構えたがる中学生をやっていた。

もっとも、その時に発する言葉にしても、少なくとも自分が言われても気にしない範囲あるいは相手にとっても疑いようのない事実だけを選んでいたつもりなのだけれど。

 

高校で磨きがかかって、大学に入ってからもそれは続いた。

オブラートを使うのが上手な人からは、””竹を割ったような””なんて言われ方をよくしていた。

貴様らができることならば””竹を折ったような””とでも形容したかったであろうことは時々感じていましたよごめんね。

 

 

 

 

でも、当時は―正直なことを言うならば今もだが―それについてごめんなんて感情が湧いてくることは微塵もなかった。

 

少なくとも高校時代以降に関しては、そういう言葉選びには理由があったからだ。

 

 

 

 

 

 

一言でまとめるのだとしたら、俺は””確実に伝わること””を狙っていた。

 

 

 

 

ここで言う確実っていうのは、例えば俺が何か注意をしたとして、その改善や、注意するまでに俺が感じていたフラストレーションについても向こうがそれらの存在を把握できることだった。

 

持論だけれど、その影響で実際にどんなことが起こっているのかがはっきりわからないと、さあそれを変えよう、とはいかない。

いや、正確には、それでもなお変えようと思う人間が全てではない。

 

当時で言うならば夏休みの宿題を筆頭に、手を付けないことによる結果が見えていたり実際にそれで苦しんだりしていてもなおそれに手を付けない人間は、管見の限りでさえ佃煮にするほどいる。

そのうえ、もし起こりうる―起こっている―事実を在りのまま伝えなかったのだとしたら、そいつのケツを叩くことになる””リスク””の存在が正確に把握できないことから、手を付けない人間の数は、こちらが伝えなかった事実の分だけ増えていく。

 

そう思うと、自分にとっても相手にとっても、まず何より優先すべきなのは””伝わらない””を避けることであって、多少強めのニュアンスで伝わることはさほど問題ではなかった。

少なくとも自分にとっては。

 

 

 

 

 

 

 

 

それがもっと配慮されるべきタイプの行動だって言うのを、俺はこの4年間のどこでと言うわけでもなく学んだらしい。

 

 

 

 

そいつがそういう行動をしていることにも何かしらの理由がある、っていう当たり前のことを、それまでからは考えられないくらいしっかりと考慮するようになった。

 

これが、丸くなったと言われる所以かと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こう書いてみるとすごく聞こえがいい。

 

だが、実態をもう少しだけ正確に表すと書き方が変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はこの4年間の中で、何かしらの理由がある、という理解の次のステップの中に、””それなら仕方ない””という選択肢を得てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この理由、きっかけ、そういったものが何なのかが、本当にわからない。

ただこの4年間で確かに、それも自然と、そうなるものなんだ、そうなるのが自然なんだとばかりに、そうなった。

そういう印象を受けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで例によってクソみたいな文ばかり下痢のように垂れ流しているから、こいつの頭ン中はきっと脳みそじゃなくておトイレよろしく糞便でも詰まってんじゃねえかとでも思われていても文句の言えない知能レベルであることは自覚している。

 

でも、それだけのアホでも、まだ壁に向かって話すような真似をするほどにはボケていないことは確かだ。

 

あんだけ散々、多少荒っぽくなったとしても、伝えよう、と試みていた理由のひとつが、少なくとも俺にとって、そいつらはみんな””壁じゃなかった””ってことなんだろうと最近気付いた。

 

 

 

 

 

 

いいこと悪いことっていうのには明確な定義はないし、あったとしてもそれは自分で作るもので、それは可変で、全ての物事もまた可変だから定義が変わらずともそれが急にその範疇からはみ出てしまうことはあるだろうさ、それくらいはわかっている。

変化自体も決して避けられるものではないということもわかっているつもりだ。

 

だから俺は今の状態を受け入れるしかないし、一方でそれをいいとか悪いとかでは捉えらえて飲み込んだりもできないんだけれど、ただなんとなく、でも確かに、恐怖に近い感情を抱いていることだけが、今自分でわかる。

 

 

 

 

 

使えるエネルギーが減ったのか、ひとつに対して使うエネルギーが増えたのか。

””自分””の範囲が狭まったのか、あるいは明瞭になったのか。

 

さっきも書いたように、原因は、この変化を生んだ変化のようなものが何なのかは、はっきりしていない。

 

ただ、もし俺が相手に可能性を見出さなくなった結果が、相手を壁だと思った結果が生んだものがこの変化なのだとしたら、と考えると、さっきも書いたように俺は恐怖に近い何かを感じるよ、自分に対して。

 

 

 

 

 

これを冷たくなったと捉えるのは少し””違う””のかもしれないけれど、少なくとも今時分ではそう思っている。

 

今後俺はどんどんどんどん冷たくなって、その結果として、死んで、ああ~だから死体って冷たいのね、って昇天しながら納得する画さえ考えるよ。