Twitterサービス停止に備える。

今のうちにアウトプットの手段を確立しておけ。

復活したパソコンで書いた。

 

誰が見ているかは知らないけれど、お久しぶりです、俺だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に書いたのが大学を卒業する前にまで遡ってしまう。

 

社会人になりたて一発目の投稿はどんなものにしようかと考えていたのに、死というものは本当に突然訪れるものだと驚いた。

大学生協ご自慢の4年間ばっちりの保証が途切れたその刹那、先代PCの画面はとてもカラフルな砂嵐に包まれたのであった。

 

 

 

 

 

すぐにでも新しいものを買えればよかったのだろうが、調子に乗って新しいスーツやら気に入った家具やらをドンドコ買ってしまったがために親からの新生活援助も大学の時からの貯金も限界まで擦り減らしてしまっていて、PCどころではなかった。

 

こちらは2代目どころか既に同じ機種で3代目となってappleケアによる格安での同一機種の代替品をもらえるサービスの後がなくなっているiPhone6(曲がっている)、こいつのバックアップがとれないことがPCなし生活の唯一にして最大の懸念事項であったけれど、それにしたって金がなかったのと、スマホがあると本当にその点以外ほとんど何も困らないもんだからなかなか買おうという踏ん切りがつかなかった。

 

やっと買ったらやっぱりあるとどちゃくそ便利だねってことで本当にホクホクしておりますです。

 

せっかく買ってもすることなんざ動画と音楽とブログだけなんだけれどもさ。

大学の時よりも生産性のない使い方をしているのが本当にもったいないので、MOSの勉強でもしようかと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くだらないことにしかPCを使っていないのがもったいないという話、仕事のことにもつながってくる。

 

端的に言うなら、今の仕事は本当にPCを使わない。

そういう仕事だとわかったうえで、且つ納得して選んだのだけれど、どうにもこのへんがストレスの原因となっている。

 

別に今の仕事が嫌いというわけではないし、ここまで健康で頭もそんなに使わず基本的にストレスフリーでできているのはこの仕事だからこそだと思うし、仕事以外の福利うんたらも実際ありがたいほどに充実している。

読み通りだったし、これはこれである面では俺の性にぴったりと合っている。

 

しかしどうしてだろう、全然抑え込めるだろうと思っていたはずなのに、収支でいえば問題なくプラスになっているはずなのに、パソコンカタカタしたい、授業作ったり資料作ったりしたいっていう欲が消えないで、二郎食べたい欲のように俺の頭と体を蝕んでいくのが本当によくわかって正直しんどい。

 

俺、なんでこんな完全に””作業””って感じの仕事してるんだろうなあ。

 

お役所仕事とか、あと他のどんな仕事だって、それこそパーソナリティが重要になる仕事以外なら絶対避けられない””作業””感はあるはずなんだろうけれど。

 

いや、こう書いてはいるけれど正直自分でもわかっている、頭より体が動いている仕事だからなんだろうなって。

こいつがコンプレックスになって、俺に今の仕事への自信とか誇りとかを持たせようとしない。

 

職業に貴賤なんてものはないって理屈ではわかっているつもりなのだけれど、感情がどうにもそれに追い付いていない、というか、他人に関してはそれが適用できるのに、自分の仕事のこととなるとそれができない、自分だけが例外になっている。

 

思っている以上に自分は貪欲だったのかもしれないし、知っていた以上に変なプライドは高かった。

 

 

授業が作りたいね、あーあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々に、しかも深夜に書いてみると案の定文章になっていない。

 

そのうちこの記事は消そうかと思うくらい。

 

少しずつリハビリしていきます。

 

あと、テンキーのあるキーボードに慣れたい。

ユーザ辞書も一からまた作り直していかないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間を置いて書いた。

 

タイトルより。

 

物は言いよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業が近い。

 

久しぶりに大学に行って、ドンピシャのタイミングで貼り出されたとりあえずこの春どうにか卒業できる学生一覧を見た。

俺はどうやら無事に、4月から美しき労働の美徳に塗れることができるらしい。

楽しみで楽しみで仕方がないし、その時間が僅かでもすり減ってゆくのが惜しいものだから、このままずっと学生でありたいと思うし、お願いだから学生であらせてくれと、日常で出会うご利益のありそうなもの全てに祈っている。

 

働きたくねえ。

 

本当にこの一言に尽きる。

 

こんな状態だし、そのうえ学科の卒業旅行も済んでしまった。

まだサークルの追い出しコンパも卒業式も残っているのだけれど、これではこの長いようで短かった4年間を振り返ろうという気にもなってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4年生になってから、丸くなったね、と言われる。

 

 

 

もちろん身体的にではない。

そもそも体重は高校の部活をやっていた時から1キロたりとも変動していないし、顔に関してはこけるかそれが元に戻るかしかしていない。

 

 

 

反抗期をこじらせた小学校の頃からずっと世間で言う棘のある言葉ばかり発していたらしいし、一時は狙ってそれをすることがかっこいいと思っている絵に描いたような斜に構えたがる中学生をやっていた。

もっとも、その時に発する言葉にしても、少なくとも自分が言われても気にしない範囲あるいは相手にとっても疑いようのない事実だけを選んでいたつもりなのだけれど。

 

高校で磨きがかかって、大学に入ってからもそれは続いた。

オブラートを使うのが上手な人からは、””竹を割ったような””なんて言われ方をよくしていた。

貴様らができることならば””竹を折ったような””とでも形容したかったであろうことは時々感じていましたよごめんね。

 

 

 

 

でも、当時は―正直なことを言うならば今もだが―それについてごめんなんて感情が湧いてくることは微塵もなかった。

 

少なくとも高校時代以降に関しては、そういう言葉選びには理由があったからだ。

 

 

 

 

 

 

一言でまとめるのだとしたら、俺は””確実に伝わること””を狙っていた。

 

 

 

 

ここで言う確実っていうのは、例えば俺が何か注意をしたとして、その改善や、注意するまでに俺が感じていたフラストレーションについても向こうがそれらの存在を把握できることだった。

 

持論だけれど、その影響で実際にどんなことが起こっているのかがはっきりわからないと、さあそれを変えよう、とはいかない。

いや、正確には、それでもなお変えようと思う人間が全てではない。

 

当時で言うならば夏休みの宿題を筆頭に、手を付けないことによる結果が見えていたり実際にそれで苦しんだりしていてもなおそれに手を付けない人間は、管見の限りでさえ佃煮にするほどいる。

そのうえ、もし起こりうる―起こっている―事実を在りのまま伝えなかったのだとしたら、そいつのケツを叩くことになる””リスク””の存在が正確に把握できないことから、手を付けない人間の数は、こちらが伝えなかった事実の分だけ増えていく。

 

そう思うと、自分にとっても相手にとっても、まず何より優先すべきなのは””伝わらない””を避けることであって、多少強めのニュアンスで伝わることはさほど問題ではなかった。

少なくとも自分にとっては。

 

 

 

 

 

 

 

 

それがもっと配慮されるべきタイプの行動だって言うのを、俺はこの4年間のどこでと言うわけでもなく学んだらしい。

 

 

 

 

そいつがそういう行動をしていることにも何かしらの理由がある、っていう当たり前のことを、それまでからは考えられないくらいしっかりと考慮するようになった。

 

これが、丸くなったと言われる所以かと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こう書いてみるとすごく聞こえがいい。

 

だが、実態をもう少しだけ正確に表すと書き方が変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はこの4年間の中で、何かしらの理由がある、という理解の次のステップの中に、””それなら仕方ない””という選択肢を得てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この理由、きっかけ、そういったものが何なのかが、本当にわからない。

ただこの4年間で確かに、それも自然と、そうなるものなんだ、そうなるのが自然なんだとばかりに、そうなった。

そういう印象を受けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで例によってクソみたいな文ばかり下痢のように垂れ流しているから、こいつの頭ン中はきっと脳みそじゃなくておトイレよろしく糞便でも詰まってんじゃねえかとでも思われていても文句の言えない知能レベルであることは自覚している。

 

でも、それだけのアホでも、まだ壁に向かって話すような真似をするほどにはボケていないことは確かだ。

 

あんだけ散々、多少荒っぽくなったとしても、伝えよう、と試みていた理由のひとつが、少なくとも俺にとって、そいつらはみんな””壁じゃなかった””ってことなんだろうと最近気付いた。

 

 

 

 

 

 

いいこと悪いことっていうのには明確な定義はないし、あったとしてもそれは自分で作るもので、それは可変で、全ての物事もまた可変だから定義が変わらずともそれが急にその範疇からはみ出てしまうことはあるだろうさ、それくらいはわかっている。

変化自体も決して避けられるものではないということもわかっているつもりだ。

 

だから俺は今の状態を受け入れるしかないし、一方でそれをいいとか悪いとかでは捉えらえて飲み込んだりもできないんだけれど、ただなんとなく、でも確かに、恐怖に近い感情を抱いていることだけが、今自分でわかる。

 

 

 

 

 

使えるエネルギーが減ったのか、ひとつに対して使うエネルギーが増えたのか。

””自分””の範囲が狭まったのか、あるいは明瞭になったのか。

 

さっきも書いたように、原因は、この変化を生んだ変化のようなものが何なのかは、はっきりしていない。

 

ただ、もし俺が相手に可能性を見出さなくなった結果が、相手を壁だと思った結果が生んだものがこの変化なのだとしたら、と考えると、さっきも書いたように俺は恐怖に近い何かを感じるよ、自分に対して。

 

 

 

 

 

これを冷たくなったと捉えるのは少し””違う””のかもしれないけれど、少なくとも今時分ではそう思っている。

 

今後俺はどんどんどんどん冷たくなって、その結果として、死んで、ああ~だから死体って冷たいのね、って昇天しながら納得する画さえ考えるよ。

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに書いた。

 

こんなにも早い段階でこのタイトルを使ってしまってもいいものなのか、葛藤こそあったが諦めて使うことにした。

使おうと思った時が使い時だ、そういう精神で生きているから仕方がない。

 

同様に食べようと思った時が食べ時なので、親から届いた荷物に入っていたイカリ豆は開封即始末といった具合に俺の口へと吸い込まれていった。

豆さんサイドは仲間の死にあたって、喪服を虫干しする時間はおろか別れを惜しむ間も与えられぬままにそれを迎えることと相成った。

 

多分それは食われる段階ではなくて加工の段階で済ませてあるだろうなと、書いてすぐに思った。

しかもあいつらは中国産の豆だから、きっと黒いそれは着ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親から届いた荷物に入っていた食い物を迷うことなく口に運んでいるということからは、賢い人あるいは同族であれば、書いている人の家に食材がないか、あってもろくに料理をしていないかという状態であることが想像できるはずだ。

箱を開けてすぐにイカリ豆にがっつく人間は、2食くらいすっぽかして寝た後でもない限りそうそういない。

 

そんな具合に著しく低下しているQOLなのだが、それでも少し前はむしろ高かった。

揺れ戻し、揺り戻し、どっちが正しいのかあるいは、まあはっきりはしないのだけれど要はそういうことだと思う、俺はとうとうこれを大学在学中に直すことができなかったと後悔している。

 

一旦思い付きで過剰にエネルギーを注ぎ無駄に高めたQOLは、その維持が難しくなる。

わかっているのだけれどあの時の俺は文明人を極め過ぎていた。

過ぎたるは何とやらで、これではさながらケモノのよう、頑張ることを止められない、頑張ることを本能に強いられている、そういう時はそういう動きになる。

トマトソースのパスタに、豆苗とタマネギのツナサラダ、さらにスープまでつけて、そのあとコーヒーをドリップしてそれを飲みながら本を読み、読み終えると何点かの衣類をクリーニングに持って行きさえした。

反動の真っただ中にいる今の俺からしたら、この時の俺はどうかしているようにしか見えない。

クスリは間違いなくやってたんだろうなと思う。

 

イカリ豆は尽きたが、それでも今まだ動けていない。

やっぱクスリだきっと、こんだけの無気力はそのせいに違いない。

食べたイカリ豆の材質がそら豆じゃなくて仙豆だったら多少話は違ってきていたか。

ああ、いや、でも中国産だもんな、過度な期待はいけない。

自律を試みようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、御社からの配属先に関する通知が今月上旬に届くらしいのだが、未だ届いていない。

まだ初旬も終わるか終わらないかというくらいだからそれも当然か。

しかしまあさすがにここまで引っ越し等の準備ができないとさすがに気にはなる、早めにお願いしたい、あと単純にどきどきするし待ちきれない。

 

気もそぞろ、今まで使ったことのないフレーズだが、おそらく童貞を捨てるならここだ。

配属通知がもうすぐ届くため、気もそぞろだ。

ああ、これで晴れて俺もそぞろおろしが済んだ、使い方は一度使ってみるとよく覚えるし、そぞろ自体が最近使ったスタンプみたいに俺の中の一番手前の方に出てくるようにもなるのでなおのこと使いやすくなるだろう。

そぞろさんに対しても22年余りの無沙汰を詫びることはおろか、これで俺はもはやそぞらーの名も欲しいままにさえできる。

 

なんというか、敗北を知りたい、そういう心境だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々に書いたら、中身のなさをぶっちぎって更新した気がする。

 

この濃度の映画があったとしたら、さながら群らがるゴブリン達にフライパンで殴打されるくらいの勢いでぶっ叩かれててもおかしくない。

 

ブログってのはこうでなくっちゃいけねえなあ、と思う。